今日からこの「TypePad」というサービスを利用してBlogを作成することにしようと思う。以前はこちらでほんの短い間書いていたんだけれど、どうやら月々小額支払うだけで、写真をアップロードできたり、携帯電話から投稿できたり、充実した機能を利用できるみたいなので、変更することにした。
以前のBlogで最近投稿したのか以下2件。
・2004/11/12 「再開」
・2004/11/16 「研修生来日」
「再開」は、駄文だけれど、後々自分でも振り返りることができればと思うので、一応こちらにもコピーしておこう。
「文字通り「3日坊主」で終わっていたブログを再開しようと思う。ずーっと書こう、書こうと思っていたのだけれど、なかなか時間が取れなくて、ようやく今日からリスタート。
再開を強く心に決めたのは、やっぱり社会人になって、日々の業務に流されて、自分の将来の目標を見失うのが嫌だから。少なくとも時々、毎日は無理だとしても、こうして自分の行動、考え、思いを振り返って、自分の立ち位置をしっかりと見定めるようにしたい。
今日という日を再開日としたのは、どうしても書き留めたいことがあったからだ。ヤセル・アラファトパレスチナ解放機構議長が、11日に死去した。僕が漠然と「世界平和」というものを意識し始めてから、いつも最大の問題点だと意識していたのが、中東パレスチナ問題。そのカリスマ的リーダーだったアラファトが、パレスチナ国家建設という目標を達成することができずに遂に亡くなってしまった。思えば僕の中でアラファトがクローズアップされたのは、1993年のオスロ合意だった。念願達成のために宿敵イスラエルのラビン首相と握手をしていた姿を覚えている。翌年はその姿勢を後押しするようにノーベル平和賞が授与され、当時中学2年生だった僕は、そのまま中東和平は進んでいくものだと思っていた。もっとも事態は2000年を過ぎた辺りから悪化の一途を辿るのだけれども。
ブログに詳細を分析したり、論述したりするのは相応しくないと分かっているので、そのようなことはしないけれど、アラファトの死去に伴って中東パレスチナ問題が混迷しないように説に願う。世界のリーダーを自認するアメリカ合衆国が、ブッシュが無事2期目を迎えることができたことだし、積極的に仲介して、公平に事態を収拾させるように行動することを希望している。
賛否両論はあると思うけれども、僕はアラファトに敬服する。信念を持って悲願達成のために闘い続けた、彼という人物を決して忘れないようにしたい。僕はムスリムではないし、そもそも死後の世界を信じていないのでこんなことを書くのはおかしいかもしれないけれど、アラファトが、彼の信じる神のもとで、安らかに過ごすことを祈っている。」
ここまで書いたものの、実は今会社で、まだ朝一。今からミーティングに入るので、このBlogを色々と試してみるのは、午後か、夜にしよう。
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